400年以上の歴史がある「波佐⾒焼」とは、⻑崎県東彼杵郡波佐⾒町付近で作られる陶磁器を指します。
⼈⼝1万5000⼈ほどのこの町の、およそ3割の⼈が焼き物に関わり、⽇本での普段使いの⾷器「⽇⽤⾷器」の約16%は「波佐⾒焼」だといわれます。「波佐⾒焼」は時代ごとに、⾷にまつわることに寄り添い、親しまれてきた歴史があります。

畑ノ原窯跡
(李祐慶により築窯された窯跡
1599年頃)
「波佐⾒」という地名は、⼀説によると⼭に挟まれた「はざま」が由来といわれ、安⼟桃⼭時代とされる1570年代頃は、⽇本初のキリシタン⼤名である⼤村純忠の領地でした。1592年〜1598年にかけ、時の太閤豊⾂秀吉が朝鮮半島で軍事⾏動を⾏った「⽂禄・慶⻑の役」で、純忠の⻑男である⼤村喜前が連れてきた陶⼯たちが東洋古来の「登り窯」を築きました。
江⼾時代に⼊った1630年代頃には磁器の⽣産が本格的となり、やがて⽊製の⾷器や陶器に代わって、底の部分が広めで安定感がある、「くらわんか碗」と呼ばれた器(「くらわんか」︓「⾷べないか︖」を意味する河内弁)などが⼤量に出回りました。
明治・対象時代の変化を乗り越え、昭和の⾼度経済成⻑期に⾶躍的に発展した「波佐⾒焼」ですが、明治以降2000年頃までは「伊万⾥焼」とともに「有⽥焼」と呼ばれていました。出荷される場所が佐賀県有⽥町だったという背景も理由の⼀つではありますが、三者の密接な関係性も影響したのではないでしょうか。
現在「波佐⾒焼」は、シンプルモダン、北欧⾵と評されたり、おしゃれでスタイリッシュと感じられたり、職⼈によって、窯元によって、ブランド展開によって、⾃由度が⾼いことも⼈気の源となっています。
くらわんか椀
(肥前焼 18世紀)

